静岡県では公開されていない映画「しゃべれども しゃべれども」。ふだん映画など観に行くことのない私だが、原作を読んでいたこと、何より「落語」をテーマにした映画であることからこの上なく興味を持っていた。さらにこのブログでこの映画のことを取り上げた以上、観ない訳には行かないと勝手に思うようになっていた。映画慣れしていない分、こういう映画は公開開始から何週間上演されているものなのか全く見当が付かない。ただ私が持ち合わせている知識と言えば、ハリウッド版「ファイナルファンタジー」があまりに期待はずれで1週間で上演が終わったという情報のみである。もともと、「総制作費○億円」というように大々的に宣伝されるような「大作」ではないだろうが、こういった性格の映画がどれくらいの期間、上演されるのかもわからない。だから出来るだけ早く見に行かなければと思い、6月3日の日曜日(私は日曜日しか仕事の休みがない)に観ることに決めた。
と言っても、静岡県で公開していないんだから、どこかへ行かなければいけない。調べたところ、私が大学時代を過ごした豊橋で公開がある。大学時代に行った場所だから道もわかる。早起きできれば11時の上映を観ようと思ったが、起きたのが11時だったのでそれは無理。さっそく14時30分の回に決め、昼前に焼津を出発した。
車中のBGMは、先週GETしたばかりのCD、タイトルは「ワンシーン」。歌っているのは「廣木弓子with櫻井大介」・・・ったって、ほとんどの人は存じ上げないと思う。静岡県のFMラジオ局のアナウンサーと、デビュー1年目のシンガー・ソングライターという組み合わせでCDは非売品だ。地元のコンビニで販売されるジュースのキャンペーンソングで、先週の発売日に廣木アナウンサーが焼津のコンビニにやって来たので買いに行ったのだった。ご本人にCDに直筆サインもしてもらい、直接手渡されてしまったとくりゃ、応援しないわけには行くまい。ということで2時間のドライブ中、何十回聞いたことだろう。
ふと思った。一緒に歌っている櫻井くんは歌手だが、廣木ちゃんはれっきとしたアナウンサーだ。歌手ではない。歌は…歌が好きだから、一般人よりは歌が上手いと思っているから、こういう企画に進んで参加するのだろうが、あくまでアナウンサーだ。歌いだしのソロは多少うわずった声で素人っぽさが前面に出ているが、サビにさしかかり、歌手である櫻井くんのハモリが入ってくると、なんとなく歌として聴けてしまう。いや、メジャーデビューしている歌手の中にだって、これより下手な「顔だけシンガー」っているよな(○瀬○る○とか)。
そっか、素人と歌手の歌の決定的な違いは「度胸」だな。「自分は歌手として歌っているんだ」という度胸が据わった状態で歌を録音する。逆に言えばそういう状態になるまで何回でも録音を繰り返すのが本職なのだろう。
そう、何故こんなことをわざわざ書いたかといえば、この映画「しゃべれども しゃべれども」も、本職の噺家ではない俳優が、落語に挑戦するという映画だ。特に国分太一くんや伊東四朗さんは噺家の役だ。つまり「自分は噺家だ」という度胸が据わった状態まで、撮影で持っていくことが出来ただろうかというのが、この映画の最大の見どころなんだろうなと考えながら、車は豊橋に入っていった。
通称ホリディ・イン(大学生当時の呼び名で、今はなんていうかは知らない)の駐車場に車を止めたのが2時ちょっと過ぎ。朝から何も食べてないが、映画を観ながら何かを音立てて食べるのは他人だったら許せないし、自分もしたくない。ということでそのまま会場に向かった。
映画自体は1時間59分という、今の主流から比べると短いものである。私のように映画慣れしていない人間にとっては長すぎず、短すぎずのちょうどいい時間だ。映画の細かな感想は、また別の機会に記すとして、先に述べた、「俳優が噺家になり切れていたか」と言う点に関しては、もうばっちり噺家さんだった。大作を観た時のような大きな感情(観ている間の大きな高揚感と、見終わったあとの大きな喪失感)ではない、様々な小さな感情がたくさん残る、そんな感じの映画だった。はるばる観に来て、まずは良かった。
この日、豊橋の隣の蒲郡では、私が昔から行かせていただいている落語会があった。映画が終わったのが4時30分で、蒲郡の落語会が5時30分開演だ。寄り道しなければ間に合う。さてどうするか。映画に満足したからそれだけで焼津に帰っても価値はあることだったが、せっかく遠くまで来たのだから用事は1つより2つの方がいいと思い、蒲郡に向かった。5時30分、会場は大入り満員。上方落語の会で、お客さんは大爆笑。しかし私はトータル3時間の運転疲れで頭痛がひどく、笑うどころじゃなかった。結局この体調不良の原因は朝から何も食べてないでここまで来てしまったことだった。通り越してもう空腹感はないのだが、体はしっかりエネルギー不足の警告を発し続けていた。帰り、生まれて初めて自分の運転で車酔いになって吐いた。
貧乏性だなあ。映画観て用が済んだと思えば、帰っていいじゃないか。帰りに何か食べていけば、気持ち悪くなることもなかったろうに。それと、自分は「落語を演るのが好き」であって「落語を聴くのはそれほど好きではない」ことを改めて感じた。この映画を好きになったのは、「悩みを持った人たちが落語に取り組む」という原作のテーマ、また「俳優が本職でない落語に取り組む」という映画のテーマが自分にとって共感できたからだったんだと思う。
今度は、俳優さんの落語に取り組んだ姿、また、この映画が原作をどう料理して1本の映画にしていったかなどについて触れたいと思う。