2006年になって最初の書き込み。
昨年8月にブログを開始して、しばらくは毎日何らかの話題を引っ張り出してきたが1週間と持たず。かねてよりホームページでちょこちょこやっていた「サッカーくじtoto」の予想をブログ上でやるようになってからは、ほぼ1週間に2度(予想と反省が1回ずつ)。それも昨年のJリーグ終了と同時に更新も終了…。
もちろん、気にはしていたんだ。ひょっとしてトラックバックやコメントが加えられているかもしれないと思って、ほぼ毎日のぞいてはいたんだ。でも、書き込むとなるとネタがなきゃ、と思っているうちに、日が経ってしまっていた。考えてみれば、紅白歌合戦の出場歌手や当日のドタバタぶりや、「なんでやー」とツッコミたくなるニュースなど、「ちょこっと書いとけば良かった」と思う事はたくさんあったのだが、そういったものはタイミングが重要。いまさら「2005年紅白の演出にいいたい事がある」なんて書いても完全にハズしてる。なんか再開するきっかけが欲しい、と考えて日付を見たら「1月19日」。
あ、自分のホームページの開設記念日だ!
2001年の1月ごろ、パソコン講座で初歩から教わったホームページ作り。その知識を駆使してどうにか作ったページを公開した。日付は忘れてしまったが、自分の誕生日が3月19日なので「その2ヶ月前に開始したことにしよう」という事で2002年以降は「1月19日」を開設記念日に決めたんだった。よし、「ゆ~のすけーぷ5周年」を記念に「ゆ~のすけーぷ2」の復活を宣言だ。
ほんとは中毒性の高いあるゲームを毎晩やっててパソコン立ち上げるのが面倒だったというのが一番の理由なんだけれど(毎年通算で4ヶ月ほど同じ理由でホームページを全く更新しない時期があった)。
いまもっともタイムリーな話題は「ライブドアショック」であるが、よくよく考えたら「ライブドア」って何をやっている会社なのか良く知らない。「企業買収」は「本業」ではないよね。ライブドア傘下の会社なら「この会社はこういうソフト作ってるんだよね」とかわかるのもあるが、「ライブドア」が何をして儲けている会社なのか知らない。唯一「ブログを提供している」というのを知っているが、私はこの「ココログ」をやらせてもらっているがこの会社には1円も支払っていない。と言う事で知らない会社の事を書くのは良くないのでこの話題はパス。
で、1週間前のこのニュースを取り上げてみた。私の中で1月の流行語大賞である「ねずみ踊り」について。
1月10日の朝日新聞の夕刊「素粒子」に
「浦安の新成人。
遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」
という記述があり、それに対して浦安市長が抗議を送ったという記事である。
「そもそも朝日の論調は、昨年の記事捏造に見られるように~」というご意見もあろうが、私はその手の話にはあまり詳しくないのでおいといて、問題の本質は「ある立場のものが別のある立場のものを何らかの主観を交えてコメントする」という点にあるとみる。
もはや浦安市の成人式がディズニーランドで行われるというのは多くの人の知るところとなった。当然テレビニュースでも放映される。職場のテレビで、あるいは家族でニュースを見ていて、
「いい年してディズニーだってよ。」とコメントするのは個人の自由だ。
だが、全国紙のコラム上で「ねずみ踊り」と揶揄するというのは、そこに「メディア」が「特定の集団(若者全体、ではなく、明確に浦安市の新成人という限定された人達)」を「批判」していることになる。その批判が妥当であるか否かは別にして。
では、全国紙の「投書欄」上で「一個人である読者」が同様の文章を書いた場合はどうだろう?批判を発したのは個人であり、投書をする事自体は「個人の自由」だ。で、新聞であれば投書をすべて載せるわけではなく、選別して社の編集方針にふさわしいもののみが掲載される。つまり個人の投書であったとしても、そこにメディアの意図は存在している。
と、あれやこれや考えてしまった。大学の「マスコミニケーション論」の授業などはほとんど覚えてないくせに何を言い出すかと思ってしまうが、それは常に次の疑問が私にはつきまとっているからだ。
じゃあ、ブログはどうなの?
ブログは個人のものだ。当然、ビジネスとしてブログを活用している場合もあるし、たとえば「社長日記」などというようなものは個人の語り口であっても社会的立場が伴っている以上、「おおやけ」の側面を持っている。じゃあ、個人のブログ上で書かれた事は全て「個人の自由」なの?
実際、これを書くに先だって「ねずみ踊り」って検索したら、いろんな立場のブログの記述を見る事ができた。ということは、「ある立場のものを批判した」らば、「その立場のものがそれを目にする」可能性が十分ある、ということになる。また、記述は削除しない限り残る(記事を削除してもキャッシュとして過去の記事を窺い知る事もできよう)ため、あとから「こんな事書かれてたんだ」となることもあろう。ブログの機能「トラックバック」というのは、つまりそういうのを見つけやすくするようなものなんでしょ?(未だ1件もトラックバックがないので実感はないが)
つまりブログは「編集者のいない新聞への投書」と同じこと。書いたハガキをポストに投函するか止めるか、常に自分の判断で決めなきゃいけない。そうして考えるとこの先自由にポンポン投稿できるかどうか、不安になってきた。
でも待てよ、同じ「ねずみ踊り」も、たとえば某お笑い芸人が
「キャー、ミッキーだぁー …って言う浦安の新成人。
遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでんじゃねぇぞコノヤロー!」(マイク投げる)
ってネタを披露したとしたら、見た方は不愉快にはなるだろうが、抗議…までは行かないような気がする。それは「このお笑い芸人はこういう芸風で、こういうこと言うわりにこういうキャラである」という前提がはっきりあるからだよね。ということはブログも同様で、「この著者はこういう立場で、こういう経験を自身がしているから、こういうことに対して批判を強めているけれど、それにはこういう意図があって、決してこういう立場の人を蔑んでいるのではない」というような事が正しく伝わるのならば、無用ないさかいも少なくなっていくのだろう。
かつて、顔見えぬ者の心無いレスの連続を見て、「掲示板ってヤだなー」と思ったものだが、ブログはそういったものを変えていく可能性を秘めているのかもしれない。政府は今後、ネット上の記述について、これは誰が書いたものであるかを特定できる(「特定できる」のと「公表される」は別だよね?)ような仕組みを考えているということである。まだわからない事だらけだけれど、もう一回ブログを始めてみたいと思う。
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