静岡県に関する事柄が全国ニュースになったりすると真っ先にネタにしようと常日頃つとめていて、以前は静岡県出身の柳沢大臣の「産む機械」発言の際はニュースに載ってすぐにこのブログで取り上げたりしたものだが、今回の記事はほぼまる1日気づかなかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070705-00000064-jij-soci
この記事は、「静岡新聞」が朝刊のコラムで、インターネット上の百科事典「ウィキペディア」から出展を明らかにせずに引用したということを謝罪した、というものだった。
私の家では静岡新聞を取っていて、毎朝仕事に行く前にざっと目を通している。今朝も静岡新聞の記事をささっと読んでから出かけたのに、そこに載っていた「お詫び」の記事を完全に見落としていた。夕方になって、ネットのニュースで上記の記事を見つけた次第であった。
静岡新聞は人口380万人の静岡県内でトップのシェアを誇る新聞である。少し前までは新聞の1面に「本日の発行部数」が誇らしげに書いてあったのだが、今は書いてないようだ。確か「県内世帯の70%」とか、静岡新聞社に社会見学に行ったときに聞いたような気がしたが、正確な数字ではないことをあらかじめ断っておく。
実際に手元にその新聞があるので見てみた。一番後ろのページを一枚めくったところは県内外の大きなニュースがまとめられていて、今朝も私はこのページを見開いて見出しを目で追った。「浜岡原発でプルサーマルの認可が下りた」とか、県内でも影響力の大きい「水産大手マルハの子会社が期限切れマグロを出荷していた」記事など、確かに今朝、そういうニュースの見出しは見た。しかし同じ見開き内の「お詫び」は見落としていた。記事中に細い罫線で囲まれた2段の記事だ。罫線が太けりゃたぶん目が行ったことだろう。、ネット上の各社が報じている通り、6月29日朝刊のコラムで宮沢元総理の死去に際し生前の功績を書き連ねた際、そのエピソード2つが、「ウィキペディア」の記述に似ていると読者より指摘され、調べた結果担当者が引用を認めたということだった。
この「お詫び」記事には「指摘を受けるまでもなく不適切な行為で、読者と関係者におわび申し上げます。」とあるが、過去にさかのぼって検証をするとかそういう記述はなかった。「お詫び」には誰がいつ指摘したかについては触れていなかったが、時事通信の記事によると「掲載当日に読者からの指摘で発覚した」とあり、読売新聞の配信した記事によると「過去の記事についても不適切な引用がないかを調査」するとのことである。しかしまあ、このような事例は枚挙にいとまがない。地方新聞でも、大新聞でもだ。特に発行エリアが限られている地方新聞でも、今はほとんどネットでの記事の配信は行われているし、どこからも誰からも指摘される可能性はある。他社が記事の“引用”、時には“盗用”と言えるようなことをやったと記事にしている筈なのに、新たにこういうことが発覚してしまう。「昔ならバレやしなかっただろう」と思っているのだろうか。
このニュースの背景には、既存のメディアと新興のインターネットメディアの対立と言うものがあるんじゃないだろうか。いちおう先に言っておくと、この段落の記述はどこからも“引用”してない、私独自の考えだから、どこかで同じようなことを書いていたとしても偶然の一致だと思ってほしい。近年よく聞かれるようになった言葉に「アーカイブ」というのがある。いちばん有名なのは「NHKアーカイブス」だが、テレビや新聞といった既存のメディアには、その組織によって過去から綿々と蓄積された「知の財産」があるわけであり、執筆者が誰とも知れない「新興メディア」の情報と比べて「質的に勝っている」という自負があるのだろう。だから、本来元ネタを記載する必要があると考えても、「ウィキペディアによると」という記述は既存メディアのプライドが許さなかったのではないだろうか。
こういうケースが1件発覚すると、家の中のゴキブリの如く、1匹出たら32匹なんていうけれど(そういえば“32匹”というのの元ネタは何だったっけ?)、このような場合調べてみると日常的に引用が行われていた、というケースが多い。最近では読売新聞の新聞小説の挿絵のイラストレーターが構図をいろんなところから取って来ていたというニュースがあったが、これも調べてみたら相当数にのぼったなんてことが報じられていた。
例えば「○月○日は何の日」とか、ブログやネットのメルマガで書こうと思ったらネットで調べたりする。ごく一般的なこと(例えば立夏って何日だったっけ?)とかは、まあ出典など載せる必要はないが、「○○協会が設定した○○の日」とかで、世間にあまり浸透してないものを取り上げる時などは躊躇してしまうな。
つい先日、「しょこたん」こと「中川翔子」さんの新曲がオリコン3位になったということで、本人が「お父さんが果たせなかった紅白出場を目指す」と言っていた記事を見て、しょこたんの父親が芸能人で既に亡くなっているということを初めて知った。そこで父親の「中川勝彦」という名前を「ウィキペディア」で調べたら、自分の知らない壮絶なこの親子のエピソードが満載で、「さっそくこの驚きをブログに書こう」とも思ったが、結局「ウィキペディアの受け売りで、自分自身が記載できることはないじゃないか」と思って結局書かなかったと言うことがあったばかりだった。私も、このブログは商用ではないものの、ブログに記事を書くと言うことは「パブリッシュ」(出版=公にする)ということであるということを、もう一度良く考えていかなきゃいけないなと、また改めて思ったのであった。
あと、「ウィキペディア」は執筆者が誰かわからないものだから、ここで何か知識を得ても、それで終わりにせずに、もう一回検索をして、その事柄のオフィシャルなページに行って、裏付けを取ることが必要だなとはよく思う。
さて、明日の朝刊のコラムには何と書かれているだろうか。そして読者からの批判は投書欄に載るだろうか。政治家や役人や企業の不祥事が後を絶たない現代だけに、県内の有力メディアがどのような責任ある対処を見せるのか、しばらく注目していきたいと思う。
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