2008年1月15日 (火)

焼津の殺人事件

2006年12月に焼津市で発生した殺人事件で、ブラジル人の母子が殺害され、容疑者のブラジル人が事件直後に帰国してしまい容疑者の引渡しが出来なかったというあの事件で、動きがあったそうだ。

あの事件で日本とブラジルの間に容疑者引渡し条約が結ばれていないこと、ブラジルの憲法で自国民を外国に引き渡す事を認めていないことなどが世間に知られる事隣、実際に静岡県内で以前に起きた事件の「代理処罰」がクローズアップされる事になった事件である。昨今は多くの人が、特に家族何人もが殺害されるという事件があまりに多いので記憶も遠くなってしまいがちだが、それでも静かな焼津市であれだけの事件というのは衝撃的だったので私は気になっていた。

容疑者は1年以上も偽名を使ってブラジル国内にいたという。浜松で起きた事件の時もそうだったが、日本側の捜査資料をポルトガル語に翻訳したりというのも警察の方でやって国際的な手続きを踏んで、何より現地の警察が動いてくれなければ日本側の努力も無になってしまうという中で今回の逮捕まで至ったというのは意義深いものがあると思う。明日の朝刊には詳しい事が何面にもわたって記される事だろう。

まだまだ、ブラジル人の容疑者が帰国してしまったと言う事件は、特に静岡県内において、たくさん残っているというから、一歩ずつ進んで欲しい。

よく「世界中を敵に回してもあなたを守る」とか歌の台詞にあったりするけれど、身近な人が犯罪者となったとして、本当にかばい続けることができるだろうか。それは「愛」といえるのだろうか。ましてや国家が他国で犯罪を犯した自国民を庇い続ける事がグローバルな国家のすべきことなのか。そういったとこまで議論が及んで欲しいと願うものである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年12月15日 (土)

報道

最近はテレビのニュースを見ていても、どこまで客観的な情報か不安になることが多い。少し前に起きた香川県の殺人事件では、幼い姉妹の父親がいかにも怪しいと、そう思わせる報道があったばかりである。

昨日佐世保市で発生した痛ましい事件。NHKの夜9時のニュースは大幅に内容を延長してこのニュースを伝えていた。10時になり報道ステーションでも当然大きな時間を割いて報道していたのだが、ここで2つの番組を見比べておやと思ったことがあった。NHKでは犯人の特徴を「身長170~190センチ」とかなり幅のある報道だったのに対して、報ステは「180~190センチ」と、かなり大柄な人間に特定する表現であった。様々な情報が錯綜していた当時の事だから、いろんな証言があったとは思うが、報ステの方ではそのあとに「外国人という情報もある」というひとことが確かに報じられたのである。

確かに、「180~190センチ」となると「外国人か?」と思いたくなるものである。しかし、この時点で「外国人という情報もある」って、その根拠は何であったのか疑問が残る。「フルフェイスのヘルメットのようなものをしていた」と言っていて誰も顔を見ていなかったはずだし、「何もしゃべらずに撃った」という証言もあり、このような状況で何をもってNHKでは一言も出てこなかった「外国人」という言葉が出てきたのか。

佐世保と言えば「佐世保バーガー発祥の地」ということぐらいしか思い浮かばない人間にとっては「銃を持った外国人」なんて聞いたらそれだけで大変な事だと思ってしまう。どうせ月曜日の放送ではそんな事には一切触れないのだろうけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 6日 (火)

そんなこったろうと

ああとんだ失態をしてしまったもんだ。

つい1週間前までは、「衆議院の解散総選挙がいま行われたら自民党は敗北するだろうから」と政権側のほうが解散をある程度先延ばしにして何らかの実績を作ってからにしようとしている、って考えられていたのが、わずかな期間にまったく逆になってしまった。いま「解散総選挙」なんて行われたら民主党は求心力を失ったリーダーのもと、今国会では何の実績も残せずに選挙に突入することになってしまう。こうなると今度は民主党の方が解散総選挙をびくびくしながら待つようになってしまった。

これはすべて福田総理の心理戦だったのか?金曜日のブログで私は「大連立」を持ちかけた福田総裁にとって思いもよらぬ結果になったと書いたが、まさにその通り、いやそれ以上に事が運んでしまった。いや、私達はそう思っているが実際には福田さんはこのような事態も思い描いていたのだろうか?

もし金曜日に「大連立」の構想が露見して大騒動になった直後に、小沢さんが、本心はどちらにあった(本当に大連立をしたかったのかどうか)にせよ、「混乱を招いて申し訳なかった。従来どおり選挙で政権奪取を目指そう」と民主党幹部の前ではっきり言っていれば、世間も「そうだよな」って思って、「大連立のことを幹部会に持ち帰ったのは一時の気の迷いだったんだよな」ということになり、世論も大きく揺らぐことはなかっただろう。

その後、日曜日の真昼間に辞意を漏らし夕方に記者会見。それももう辞めた身分として、今まで自分が率いてきたはずの政党を「まだ政権を担う力がない」とまるで他人事のように批判してみせた。そこまで言ってしまった人間を慰留する幹部も幼稚だと思ったが、それに応じて辞意を撤回する小沢氏もまた訳がわからない。正直言えば、きょうの夜9時のニュース内で「鳩山さんの話として」続投の方針が語られたってんだからまだひと波乱、ふた波乱ありそうな気がする。どちらにしろ、「自民党がダメだから」という理由で民主党に入れたという人たちの多くはこの件でがっかりして離れていくことは間違いないだろう。

いつも「あともう少しで自民党政権を追い詰められる」という時期に自滅するお決まりのパターンと言ってしまえばそれまでか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 2日 (金)

世論の振れ幅

昨日の日本シリーズ、落合監督の采配には賛否さまざまな意見が登場したようだ。

私は昨日の試合が終わった直後にブログを書いて複雑な気持ちを書き残したが、インターネットで途中経過を見ながら、7回あたりで「このまま行ったとしても、落合監督なら岩瀬を投入するかもしれないな」と思っていた。と言っても実際に試合を見てるわけではないし、会場の雰囲気はどうだったか、日本ハムの打てなさ加減はどんな感じだったか、そして山井投手の球威はどんなだったか、といった状況をほとんど理解していない状態であった。インターネットで8回が終わったあたりと見るや、ラジオのニッポン放送をつけて歴史的瞬間を聞こうと思っていたら、そこで交替だという。スタジアムでは「山井」コールが鳴り響いていたという。それは素晴らしい投球を披露した山井投手に魅了されたというのと、落合監督に替えないでという嘆願の叫びだったのであろう。

ニッポン放送の解説陣、関根さんやエモやんは概ね理解を示していた。特に理論派のエモやんはこの采配に少しも疑問はないと言い切っていた。そう、野球に携わる人にとっては納得のいく結果だったのだ。私自身も、「落合さんという人を好きになれるかどうか」の問題だけであって、ああいう状況で日本一の懸かった場面の監督としての判断についてはどうのこうの言うつもりはない。この1年の集大成として最後のイニングを岩瀬に任せたんだ。もし、山井投手がこの一年、ローテーションを守り、何度も完投でチームを鼓舞した存在ならば、続投させるべき、替えるなんて酷すぎる!という批判を受けるべきであろうが、現時点で8回終了時の山井投手の力量と岩瀬の安定感を量りに掛けた結果があの采配であったのだろう。

何が言いたいかというと、批判をするのは本人の自由だが、そこに変な価値観を持ち出して、強要させないでもらいたい、という事だ。今日の一連の批判記事を見ていて、「野球に対する冒涜だ」という言葉を見つけた。8回まで1人のランナーも出さずに投げた投手を9回に交替させる事は、果たして「野球に対する冒涜」に当たるのだろうか。ルールブックや野球協約に「望ましくない事」「非紳士的なこと」と書かれていたりするのだろうか。こういう「個人の感情を『何かに対する冒涜』と決め付けてさも正論とする」というやり方に直面すると、かえって鼻につくものだ。

私が昨日、批判というか、受け入れがたい事実に対する戸惑いをブログに書いたが、それは「落合監督がこれでますます嫌われる存在になるだろうな」という、突き詰めて言えば「私が落合監督を嫌いになる」のではなく「落合監督が世間一般から嫌われるようになるだろうな」という、いわば「余計な心配」の気持ちがあったように思う。そう、私にしてみれば「落合監督らしいや」と思ったのは事実だが、それで私自身「前より嫌いになった」訳ではないのが現状だ。もっとも、スワローズファンである以上、好きだろうが嫌いだろうが倒さなきゃならない相手だと思っていることは事実なのだが。それは原監督も同じだからね。

前置きが長くなったが、この日(11月2日金曜日)にいちばん大きなニュースというのは、自民党総裁の福田総理が民主党代表の小沢代表との党首会談の中で、連立を持ちかけ、小沢代表が党に持ち帰った上で断りの電話を入れたというものだった。「前回の会談に引き続いて2度目の党首会談を行う」という事は普通にニュースとして聞いていた。その周りで「大連立」なる言葉がちらほら見え隠れしていたのも事実であるが、「言う可能性があるか、ないか」「言われたとして聞く耳を持つか、持たないか」というきわめて不確かな使われ方しかしてなかった。私は夜8時と10時は車を運転しながらNHKラジオを聴いていた。まず8時30分のニュースで、「公明党の人が、自民民主の党首会談の中で連立を持ちかけたことを明かした」という事を言っていた。その時点では「言ったんだ。まさか受けることはないだろうけどな」程度しか思っていなかったが、10時のラジオでは大きなニュースとして取り上げられていた。

そのラジオニュースで解説されていたことの受け売りになるかもしれないが、今回のニュースで一番驚きなのは、小沢代表が党首会談で突っぱねると思いきや、「持ち帰って協議する」としたことであろう。持ち帰ったという事は、小沢さん自身は連立に乗り気だったということなのか?そして民主党の役員会で拒否されたわけだが、それは「党の方針と小沢氏自身との間にズレが存在する」ことを示すのではないか?だとしたら、それは民主党内と民主党支持の一般の人の求心力を失うことになりはしないだろうか、という心配が生じる。

自民党の福田さんにしてみれば、非常に意味のあった党首会談になったのではないだろうか。「衆参で多数派を占める勢力が異なるという現状を打開する体制というものを参議院選挙後からずっと考えていた」というのが福田氏にここまでさせて理由なんだそうだ。かねてより「民主党は協力政党」というようなことを言っていたが、「大連立」なんて思いもよらない当時は、「政策論争をしていく中で、よりよい形を見つけていく」という言葉尻通りの意味だと思っていたが、こういう打診をして民主党に持ち帰らせることによって、本当に「協力者」、現実路線を敷く民主党からの離脱者があらわれるかもしれない。つまり、これを機に、「なんでも反対するんじゃなくて、現実的に自分達の意見が国を動かしていくような道を探ろう」と与党側に下ったり、独自の会派を作る人が民主党内から現れるかもしれない。「聞いてもらっただけでも有意義なのに、持ち帰って検討するって言うなんて思いもしなかった」と思っているかも知れない。

あれ、「まさか山井があそこまで投げるとは思わなかった」と言った落合監督みたいだ。思いもよらない収穫であるが、その後の采配には批判がつきまとうこともお忘れなく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 1日 (土)

インターネット社会って

インターネットに携わる仕事をしているので、インターネットにまつわるニュースは常に気になっている。ただ、あいにく最新の情報には疎いのでそんなに核心に迫ることを書ける身ではないことを始めに断っておく。

というのも、「インターネットで飯を食っている以上、モラルに反することをしちゃいかん」というのが始めてこの仕事に身を置いた時の上司の考え方で、その通りだと思ったので自分自身で一線を画している。著作権を無視して楽曲や動画を入手したり、データ流出の恐れのあるファイル交換ソフトなどは触ったこともないので仕組みすら知らない。要らぬトラブルに巻き込まれたりしない為に、他者の掲示板に書き込みをすることもほとんどないし、他人のブログにコメントやトラックバックというものもやったことがない(いまだにトラックバックの仕組みがよくわかっていない)。もちろんそういうものは、悪意を持ったり持たれたりしないように気をつけてさえいれば、何の問題もないことなのだろうが。

今週のニュースで一番衝撃的だったのは名古屋の女性殺人事件だ。金を奪う目的で、たまたま通りがかった女性を拉致し殺害し、死体を遺棄し、警察に出頭した3人の男は、犯罪を扱うインターネットサイトの書き込みを通じて知り合った人間であったという。こういったサイトはネット中に蔓延しており、問題が発覚すると当該するサイトはすぐに閉鎖したりするが、同様のサイトはいくらでも存在しているし、サイト管理者やサイト利用者が、また別のサイトを立ち上げたり群がったりして、闇から闇へ姿を隠しているという実態が垣間見られる。

こういう際に必ず問題になるのが、「表現の自由」と「捜査協力」のせめぎあいである。今回は犯人が逮捕されているが、仮に3人のうち1人が出頭、あと2人は誰だと聞かれてサイト上の偽名しか知らないということになれば、サイト運営者にその人物を割り出すために捜査協力せよということになる。しかし、犯罪になりうるサービスを提供しているサイト管理者を裁くことは出来るのかというところに問題があったりもする。

ここ数ヶ月、各ニュース番組で取り上げられる「学校裏サイト」の問題も深刻だ。こちらはいじめの温床になりうるが、エスカレートして犯罪に結びつかないとも限らない。こうしたサイトの管理者も取り締まれないというのは歯痒い限りである。

インターネットの「匿名性」が問題の背景にあるといわれるが、「インターネット世界はパブリック(公共性)を持った場所である」ということを周知徹底し、それを機軸に法整備を行うことが何よりも重要だと思う。「インターネットの公共性」という考え方は、茂木健一郎さんが「ココログ」の中で言っていて、まさにその通りだと思ったことだ。サイトを運営する際の届出制と、IPアドレス等の情報を必要に応じて捜査に利用するということを法律で明確に規定することによって犯罪や反モラル行為を抑制する効力を持たせたい。

そう、「匿名性」というけれど、インターネットへアクセスするということは丸裸で人ごみに飛び込んで行くようなものである。その元を辿る手段が画一化されていないにすぎないのだと思う。次もそんなに詳しく知っている話ではないが、インターネット上の百科事典「ウィキペディア」の記事を編集した人を特定できるソフトが登場して、いろいろなことがわかったというニュースが載っていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070829-00000072-zdn_n-sci

「ウィキペディア」は「インターネットの百科事典」とだけ思っていたが、最近になって「WIKI」が「多人数の手による」サイトの新しい技術をさす言葉だと知った。私にとっては百科事典として、引く(読む)存在であるが、世界中の人間がその事典の編集に携わることができるというのが、このサイトの最大の特徴であるという。で、その編集者を知ることが出来るソフトを使ってわかったことはというと・・・。

官公庁のIPアドレスから、例えば自分達にとって不利な情報(スキャンダルにかかわる記述)を削除したり、自分達のプロジェクトを「客観的に評価する」記述がなされたり(それはすなわち客観的ではないわけだが)、あるいは全く関係ないゲームやアニメに関する編集がなされていたというのは、職員が職場のコンピュータを使って業務と関係ないことに時間を費やしていたことがバレバレになっている訳で、個人名こそ特定されないものの、中の職員からすれば「たぶんあいつだな・・・」とわかってしまう。

これも「インターネットはパブリック(公共)のものである」ということと「インターネットに接続する際には常にIPアドレスを晒している」ということに対する認識が欠如していることに起因している。ウィキペディアには「自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましい」というガイドラインがあるらしいが、そのガイドラインにどのぐらいの拘束力があるのだろうか。その組織にとって「不利益につながる記述」も、他者にとっては「世の中で起こった客観的な事実」だ。メーカーが自社の商品を「記述」すれば、かなり高い確率でそれは「記事」ではなく「広告」になる。客観的な「批評」と主観的な「批判」の境目も難しいな。編集者の素性が明らかになるソフトの登場は、ある意味「ネットの匿名性」に包まれた現在から先の未来のネット環境の姿に近いものなのかもしれない。このソフトの登場によって「編集活動」にどのような変化があらわれるか、注意してみる必要がありそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年8月18日 (土)

矛盾をはらんだ現実

このところの日本列島の猛暑は何なのだろうか。つい1月頃前までは、国内で一番暑い所といえば静岡県の浜松市天竜区佐久間町とかだったのに、最近では普段それほどアツいというニュースを聞かない地域が最高気温を記録するというニュースをよく耳にする。新潟とか、鳥取県の米子とか聞いたと思ったら、8月16日には岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で観測史上最高気温40.9度を記録するなんて衝撃的なニュースがもたらされた。一方の静岡市は猛暑日(1日の最高気温が35度を超えること)の一歩手前で踏みとどまっている日が多いような気がする。

17日のニッポン放送で、朝の番組のパーソナリティ「うえやなぎまさひこ」氏は、安倍総理が前日に暑さについて尋ねられた際に「ビールを飲む人はおいしいだろう」といったことを取り上げて「この人の言葉のセンスはひじょうに悪い」ということを言っていた。全く同感である。熱中症で何十人という人が死亡し、その何十倍もの人が救急車で病院に運ばれているという異常事態だ。ヨーロッパの熱波で多くの人が死亡したというニュースを聞いて「普段から暑い気候に慣れてない人種はこういう時適応できないんだろうな」と他人事のように考えていたが、事実として日本でも大きな被害が出ている。気温が40度を超えているなんて「ビールがおいしい」どころの話ではない。

電力会社は「電力使用のピークは午後1時から午後4時」と繰り返し「節電にご協力を」と言っているが、クーラーを使わずに部屋の温度が上昇し、自身の体温を制御できずに室内で命を落としてしまう高齢者が後を絶たない。

体育館で部活動をしていた中学生が練習後に熱中症と見られる症状で死亡したニュースを受けて、運動中止を呼びかける県も出てきたそうだ。しかし、最も有名な学生スポーツである高校野球が真夏の真昼間に屋根もない野球場で行われて、全国中継されているのでは、「やめろ」といわれてもやめられないだろう。少なくとも甲子園を目指す人たちは制止も聞かずに炎天下に飛び出していくことだろう。

8月16日には北極海の氷の面積が観測史上最も小さくなっていると発表されたと言っていた。あと1ヶ月ほどで氷の面積は最小になるということで、今後さらに「史上最小」は続くのではないかと言われている。

温暖化は地上だけではない。8月16日夜9時のNHKニュースでやっていたが、沖縄のサンゴ礁が水温の上昇が原因で「白化」してしまうケースが多く見受けられるという。白化したサンゴはやがて死滅してしまうということである。海水温を下げる一番の決め手は「台風」であるそうだ。7月下旬以降台風が来ていないので上がった水温が下がらないのだと言っていた。ちょうど昨日に近づいてきた台風8号は、いくらかこの海域の水温を下げるのに貢献したのだろうか。

私の場合は、パフォーマンスが著しく低下しているが為におのずと稼働時間が長くなってしまっているパソコンをどうにかするのと、ひじょうに燃費の悪い今の車を何とかするのがこの夏の課題だろうか。(ほとんど自分1人しか乗らないし飛ばすわけでもないのに3ナンバーはないよな)。あと、遊び終わった「Wii」はコンセントを抜いておかないといけないな。そういえば「リモコンで電池を消費しないとスタートできない」とか「電源を切っても待機電力を消費してネットと接続する」など、「Wii」は地球に優しくない仕様を持ってるなと最近は思わざるを得ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月16日 (月)

新潟でまたも地震

きょう7月16日(月)は午前中に新潟県で最大震度6強を記録する大きな地震が発生したというニュースが日本中を駆け巡った。日本列島は台風の被害がやっと収まったという時期に、太平洋側と日本海側という別の場所ではあるが、立て続けに自然災害に襲われた。

私は今日も仕事で静岡県焼津市内の建物にいたが地震にはすぐに気づいた。その瞬間は、日曜日にインターネットばかりやっていて睡眠不足だったり、また「脳梗塞で倒れる人は月曜日が多い」と聞いていたのもあって、「やばい、めまいか?」と思ったりもしたが、一瞬で地震とわかり、机の下に隠れるほどではなかったが、瞬間的にどこかで大きな地震が起きたと感じた。今はネットで即座に震源がわかる。新潟で6強という表示を見たときには3年前の秋のことを思い出さずにいられなかった。

被害の大きさが時間を追うごとに明らかになってきた。家屋の倒壊、それも大きな旧家がぺしゃんこになっている画像が特に脳裏に焼きついた。これを書いている時点で死者は7名と報じられているが、被害は多くなるかもしれない。

ただ、3年前の教訓を忘れずに2次被害を食い止めることには全力を尽くしてほしい。季節が違うが、3年前の時は車中泊で亡くなる人が多かった。また、かなり大きな余震が起こるというのは3年前も今回も言えることだという。災害支援のあり方も、前回の問題点をフィードバックさせて対処してくれることを切に願う。過疎・高齢化の地域であろうから、精神面でのケアも重要だろう。

それにしても、静岡県民としては、「東海地震」の発生が言われてはや30年以上。その間地震に対するハード面での備えは進んでいて、小さな地震は数多く発生しているものの、甚大な被害をもたらす地震はこの間まったくなく、他の地域での地震はその間に幾つも見聞きしてきた。おそらく東海地震の想定以上の災害は他地域で既に起こっているのではないかと感じる。それが逆に、静岡に住む人間に、かえって根拠のない安心感を与えていやしないか、心配である。

東海地震のメカニズムといえば、詳しくは知らないけれど、「過去(100年以上昔)に地震が起こっていて、近年起こっていないから地中にエネルギーが溜まっていてそのうち起こるだろう」という考え方が半ば常識として我々に備わっている。だとしたら、3年前に大きな地震が起こった新潟県中越地方で、また大きなエネルギーの地震が起こったことは説明が付かない。我々の「常識」が既に当てはまらなくなっていることに気づかなければならないと思う。

ところで、今日の安倍総理の動静を聞いて驚いた。午前中に遊説先の長崎から予定を切り上げて東京に帰ったというのはわかったが、その後夕方に自衛隊のヘリで新潟に行ったというのはどういうことか。真っ先に向かったのは原子力発電所。稼動停止して、敷地内で火災が発生したというニュースも聞かれたが、首相自らが行くことによって危険が起きているのではないことをアピールする狙いがあったのか?その後新潟の柏崎で避難所の視察と市役所に行っているが、一国の総理のとるべき行動だったのか疑問だ。少なくとも今の時点でそのような声はニュースやネットの記事に見当たらない。ひどい言い方をしてしまえば、「こんな時にも人気取りか」と思われかねないのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 5日 (木)

ウィキペディアよく使います

静岡県に関する事柄が全国ニュースになったりすると真っ先にネタにしようと常日頃つとめていて、以前は静岡県出身の柳沢大臣の「産む機械」発言の際はニュースに載ってすぐにこのブログで取り上げたりしたものだが、今回の記事はほぼまる1日気づかなかった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070705-00000064-jij-soci

この記事は、「静岡新聞」が朝刊のコラムで、インターネット上の百科事典「ウィキペディア」から出展を明らかにせずに引用したということを謝罪した、というものだった。

私の家では静岡新聞を取っていて、毎朝仕事に行く前にざっと目を通している。今朝も静岡新聞の記事をささっと読んでから出かけたのに、そこに載っていた「お詫び」の記事を完全に見落としていた。夕方になって、ネットのニュースで上記の記事を見つけた次第であった。

静岡新聞は人口380万人の静岡県内でトップのシェアを誇る新聞である。少し前までは新聞の1面に「本日の発行部数」が誇らしげに書いてあったのだが、今は書いてないようだ。確か「県内世帯の70%」とか、静岡新聞社に社会見学に行ったときに聞いたような気がしたが、正確な数字ではないことをあらかじめ断っておく。

実際に手元にその新聞があるので見てみた。一番後ろのページを一枚めくったところは県内外の大きなニュースがまとめられていて、今朝も私はこのページを見開いて見出しを目で追った。「浜岡原発でプルサーマルの認可が下りた」とか、県内でも影響力の大きい「水産大手マルハの子会社が期限切れマグロを出荷していた」記事など、確かに今朝、そういうニュースの見出しは見た。しかし同じ見開き内の「お詫び」は見落としていた。記事中に細い罫線で囲まれた2段の記事だ。罫線が太けりゃたぶん目が行ったことだろう。、ネット上の各社が報じている通り、6月29日朝刊のコラムで宮沢元総理の死去に際し生前の功績を書き連ねた際、そのエピソード2つが、「ウィキペディア」の記述に似ていると読者より指摘され、調べた結果担当者が引用を認めたということだった。

この「お詫び」記事には「指摘を受けるまでもなく不適切な行為で、読者と関係者におわび申し上げます。」とあるが、過去にさかのぼって検証をするとかそういう記述はなかった。「お詫び」には誰がいつ指摘したかについては触れていなかったが、時事通信の記事によると「掲載当日に読者からの指摘で発覚した」とあり、読売新聞の配信した記事によると「過去の記事についても不適切な引用がないかを調査」するとのことである。しかしまあ、このような事例は枚挙にいとまがない。地方新聞でも、大新聞でもだ。特に発行エリアが限られている地方新聞でも、今はほとんどネットでの記事の配信は行われているし、どこからも誰からも指摘される可能性はある。他社が記事の“引用”、時には“盗用”と言えるようなことをやったと記事にしている筈なのに、新たにこういうことが発覚してしまう。「昔ならバレやしなかっただろう」と思っているのだろうか。

このニュースの背景には、既存のメディアと新興のインターネットメディアの対立と言うものがあるんじゃないだろうか。いちおう先に言っておくと、この段落の記述はどこからも“引用”してない、私独自の考えだから、どこかで同じようなことを書いていたとしても偶然の一致だと思ってほしい。近年よく聞かれるようになった言葉に「アーカイブ」というのがある。いちばん有名なのは「NHKアーカイブス」だが、テレビや新聞といった既存のメディアには、その組織によって過去から綿々と蓄積された「知の財産」があるわけであり、執筆者が誰とも知れない「新興メディア」の情報と比べて「質的に勝っている」という自負があるのだろう。だから、本来元ネタを記載する必要があると考えても、「ウィキペディアによると」という記述は既存メディアのプライドが許さなかったのではないだろうか。

こういうケースが1件発覚すると、家の中のゴキブリの如く、1匹出たら32匹なんていうけれど(そういえば“32匹”というのの元ネタは何だったっけ?)、このような場合調べてみると日常的に引用が行われていた、というケースが多い。最近では読売新聞の新聞小説の挿絵のイラストレーターが構図をいろんなところから取って来ていたというニュースがあったが、これも調べてみたら相当数にのぼったなんてことが報じられていた。

例えば「○月○日は何の日」とか、ブログやネットのメルマガで書こうと思ったらネットで調べたりする。ごく一般的なこと(例えば立夏って何日だったっけ?)とかは、まあ出典など載せる必要はないが、「○○協会が設定した○○の日」とかで、世間にあまり浸透してないものを取り上げる時などは躊躇してしまうな。

つい先日、「しょこたん」こと「中川翔子」さんの新曲がオリコン3位になったということで、本人が「お父さんが果たせなかった紅白出場を目指す」と言っていた記事を見て、しょこたんの父親が芸能人で既に亡くなっているということを初めて知った。そこで父親の「中川勝彦」という名前を「ウィキペディア」で調べたら、自分の知らない壮絶なこの親子のエピソードが満載で、「さっそくこの驚きをブログに書こう」とも思ったが、結局「ウィキペディアの受け売りで、自分自身が記載できることはないじゃないか」と思って結局書かなかったと言うことがあったばかりだった。私も、このブログは商用ではないものの、ブログに記事を書くと言うことは「パブリッシュ」(出版=公にする)ということであるということを、もう一度良く考えていかなきゃいけないなと、また改めて思ったのであった。

あと、「ウィキペディア」は執筆者が誰かわからないものだから、ここで何か知識を得ても、それで終わりにせずに、もう一回検索をして、その事柄のオフィシャルなページに行って、裏付けを取ることが必要だなとはよく思う。

さて、明日の朝刊のコラムには何と書かれているだろうか。そして読者からの批判は投書欄に載るだろうか。政治家や役人や企業の不祥事が後を絶たない現代だけに、県内の有力メディアがどのような責任ある対処を見せるのか、しばらく注目していきたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月29日 (火)

月曜日のこと

「人は生きていた時と同じように死を迎える」誰の言葉だっただろうか。テレビで見たのかラジオで聞いたのかすら思い出せない。つまり、家族や仲間とワイワイ盛り上がるのが好きな人は多くの人に看取られて最期を迎え、人との関わりを避ける人は孤独に死地への旅に出る―という内容で、終末期に携わる仕事をしている人の言葉だったと記憶している。

メディアに登場しないことを売りにしていたZARDの坂井泉水さんはひっそりと最期を迎えた。私生活が謎だったこの人が、ガンの治療中であったことを知っていた人はどれほどいただろうか。

大物歌手の早すぎる死にショックを受けていたわずか2時間後、もっと衝撃的なニュースが飛び込んできた。

松岡農林水産大臣が自殺を図り、午後2時に亡くなったというのだ。議員会館の光熱費問題に始まり、緑資源機構の問題と苦しい立場に追いやられながら、何度も釈明をしながらも肝心なところでは疑惑の内容について明らかにしなかった。「墓場まで持っていく」という表現があるが、何かを隠して生き、何かを隠して死ぬという生き方(死に方)があってよいものか。年間3万人以上が自ら命を落とす自殺大国日本。安倍総理大臣が音頭を取って、自殺者を減少させるプロジェクトを起こしているさなかに、現職の閣僚が自殺するという異常事態。生きて安倍政権の支持率低下の一因となっていた大臣は、死していよいよ総理の任命責任などと言った大きな問題を遺して政権の崩壊をもたらそうとしている。

衆参同日選挙という話もあながちない話ではなくなってきた。

自殺や脳梗塞は月曜日に多いというデータがある。今回の大臣の自殺もまさにその例に漏れないところとなった。

それにしても大臣が死んでまで隠さなければいけなかったこととは何だったのであろうか。単に自分が利益を得ているということだけなのだろうか。これにより誰かがほっと胸をなでおろしているなんてことはないのだろうか?闇から闇へ事件を葬り去るようなことだけはなくして頂きたい。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年5月19日 (土)

「美しい国」はとりもどせますか

今週は常に何かに憤っている、そんな1週間だった。多くの人にとっても同様の感想ではないだろうか。福島県で起こった、男子大学生が母親を殺害して頭部を鞄に入れて外出し、自首した事件と、愛知県で元暴力団員の男が元妻を人質に立てこもり、警官1人が死亡、1人が重傷という惨劇をもたらした事件。この2つの事件が世間に与えた衝撃は大きかった。しかし、そんな大きなニュースの他にも、熊本県でいわゆる「赤ちゃんポスト」と呼んでいる所に3歳児と思われる男児が入れられていたという事実や、大阪で子供を虐待していたとされる両親が、「バイクのメットインに子供を入れておいたら死んでいた」という供述をしていた事件など、「いつから日本はこんな国になってしまったんだ」と思わずにはいられない事件がいくつも起こっていた。

いずれの事件にも共通するのは、当事者の「無関心」意識である。

福島県の事件。少年は母親を殺害してその頭部を持ち歩いてカラオケ店とインターネットカフェに行ったことがわかっているようだ。カラオケ店では鞄を自転車のカゴに置いたまま店に入ったという報道もある。また、遺体の腕も切断され鉢に刺さっていたという報道もある。「もっとバラバラにするつもりだった」と供述しているとも言われる。「だったら何故頭部を持って自首した?」といきなり疑問符が付く。少年の精神状態も不明、本心もうかがい知る事はできないが、「殺すのは誰でも良かった」と供述しているという。矛盾に満ちた、常識で計れない供述を繰り返すことによって「自分には責任能力がない」ということを、意図してか意図せずか訴えているかのようだ。

親が育てられない子供を匿名で受け入れる「こうのとりのゆりかご」と名づけられた、熊本県の病院に設けられた施設。「赤ちゃんポスト」と呼ばれる施設に入っていたのは3歳児だったという衝撃的な事件…と言っても、警察は「事件」としては表向きは扱っていないようだ。子供は言葉も喋れるし名前も言ったし「福岡から来た」と言ったとまで報道されている。その気になりゃ、捨てた親を捜す事もできない話ではないだろうが、設置の意と反するから、病院は沈黙を守り続けている。この施設そのものの賛否に関しては、コメントする立場にないが(本当に救われる命があるのなら、意味のあることだとだけは書いておこう)、ここで思うは子供を捨てて今もどこかで普通の生活を営んでいるであろう父親のことだ。自分以外の大人(妻や親)がいればそんなことはしないだろう。いや、いても家族だけの秘密として世間に背を向けてでも黙り続けていくと決めたのかもしれない。いずれにしても、「事件性はない」という理由で、このような事例を見逃していいのか、いま一度考えていただきたいと思う。

同時期に凶悪事件が立て続けに起こったり、「幼児虐待」の例が全国でいくつも報じられるようになっているため関心が薄れがちだが、大阪の若い男女が1歳の子供の死体を遺棄したとされる事件も憤りを禁じえない。今の夫の子でないこの男児を、自分達の「持ち物」としか考えていない感がありありと伝わってくる。自分達にいちばん罪のつかないやり方で、どうにかこの厄介な「持ち物」を捨てられないかとしか考えていないのではないか。人の命を何だと思っているのか。この事件でも幼児に対する虐待は事前に報告されていたにもかかわらず、児童相談所では有効な対策をとれなかったことが明らかになっている。

愛知県で起こった立てこもり事件は、犯人・警察いずれに対しても「なんで」と思わずにいられない。逮捕から一夜明けて、いろいろな記事が報道されているが、そもそも「元妻」は「男(犯人)」の暴力に耐えかねて家を出て、裁判所からは「男」に対して「元妻」に接近を禁ずる命令を出していたという。にもかかわらず「元妻」は「男」の住む家に行った。「息子」と「娘」が「元妻」を呼んだとする報道もある。何が事実かはまだわからないが、この報道によれば、まず「会ってはいけない」筈の「男」と「元妻」を引き合わせたこと自体に問題がある。また、「男」が暴れて銃を持ち出して警察に第一報がされたあと、子供は「銃はおもちゃです」という第二報を入れている、という報道もある。最初に撃たれた警官はこの言葉を信じて装備もせずに近づいて撃たれたのではないかと記事は結んでいる。で、「息子」と「娘」は、それぞれ撃たれて傷を負いながらも、当事者である「元妻」を家においたまま逃げ出している。・・・刑法上の責任は別にしても、この2人の引き起こした行動はあまりに大きな結果をもたらしてはいないだろうか?負傷した警官を5時間も救出できず野ざらしにしていた警察の行動も、ラジオ局ZIP-FMに話をさせろという要求をして、実際に電話をしたということも(結果としてその隙に元妻は脱出したとされているが)、適切な手段だったかどうか疑問が残る。そもそも大前提として、「人質をとって自分の主張を通そうとする」行為に対して、「それは認められない」という意思を示せないというのは、果たしてどうなのか?というのは1ヶ月前に東京町田市で、拳銃を使った立てこもり事件があったばかりではないか。この時即時突入していたならば、今回このような事件は起こりえなかったのではないかと思わずにいられない。

安倍総理大臣さま、「美しい国」は取り戻せますか。あなたが最も重要と掲げる「教育」、その根幹にあるのは「人が人として生きていくこと」だと思います。人が人として生きていくために一番単純な真理は「人が他の人の生きる道を断ってはいけない」と言うことであり、それは同時に「自分も、他人や社会といった周りのものによって生かされている」ということを自覚することにつながります。それは「学校」で教えること?「家庭」で教えること?・・・そんなの、「両方」ですよね。「人間は食べ物を食べないと生きられない」「お風呂に入るとき以外は服を着ていなきゃいけない」というのと同じくらい当たり前のことですよね。

ついでに私個人の考えをひとつ付け加えると、「人の命を(自分も、自分以外の他人も)守る」ことは誰しもが守らなければいけないルールだと明確に示した上で、それを破る行為(殺人や殺人未遂)に対しては、成年・未成年関係なく、もっといえば、当人の責任能力の有無にかかわらず、法の上での対処をすべきだと思うんですけど。極論ですかね?

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年2月 8日 (木)

文化の違いと言うべきか

フランスではこの2月から「公共の建物内での喫煙が原則として全面禁止になった」ということで、様々なところで報道された。しかし、その報道の中でどうしても首を傾げてしまう部分があった。「公共の建物」に関して、「学校や病院、市役所や駅」は当然、頭に浮かぶのだが、実際にはフランスのケースでは「一般企業のオフィス」も含まれているのだ。

日本においては、一般企業の建物内が禁煙かどうかというのは、その会社が決めることであって、「うちの会社のビル内は全面禁煙だ。守れない奴は辞めてくれて結構」と言うのはアリだろう。(実際にあるかどうかは知らないが。)フランスの場合、経営者は従業員がタバコを吸っていないか監視する義務があり、怠れば経営者が処罰されるという厳しいものである。

しかし、私がいちばんおかしいと思うのはその後である。「タバコを吸う社員は、社内では吸えないから、一日に何度も外に出て、道路でタバコを吸わなければならない」というのだ。

そう、日本人の感覚で言うならば「まず街ん中で歩きながらタバコ吸ってる奴らを取り締まれよ」である。許されない喫煙者の順位が日本と完全に異なっているのだ。

JTのテレビCMでもやってるだろ。子供も老人もいる街の中を、900度の火を持って歩き回っているのだ。おそらくフランス人は、携帯灰皿とかの意識が進んでいて、「ポイ捨てはもってのほか」だから、吸殻を捨てないひとは路上で吸ってもいいと考えているのだろう。

そして「PUBLIC」という言葉と日本語の「公共の場所」にも相違があるのだろう。おそらくヨーロッパ人にとっては、「PRIVATE」でないところはすべて「PUBLIC」、つまり「個人が個人でない場所」(=「個人は個人を捨て、労働力を経営者に使わせてやっている」という考え方)なんだろう。

レストランや喫茶店なども1年間の猶予のあとは原則全面禁煙になるんだそうだ。私はすわないから関係ないが、喫煙者は今まで以上に路上に溢れるんだろうか。だとしたらこんなバカな国はないな。

それともうひとつ、「イタリア」でサッカーの試合会場で暴徒化したサポーターに警察官が殺された事件。再開の条件として「スタジアムの安全基準」「問題のある人物の拘束時間の延長」などが挙げられ、基準を満たしてないなら「無観客試合」での再開になるんだそうだ。「安全基準」に関しても「アウェー側のサポーターが入場券をまとめ買いできないようにする」などいろいろ言っている。

しかし、安全対策にいちばん有効なのはやはり「火薬や揮発油など、火のつく危険な物の持込禁止を、手荷物検査を実施して徹底する」の一点に尽きるんじゃないだろうか。そこに関してはどのニュースもまったく触れていない。客席から炎や煙が上がるのは、スタジアムの自然な風景になっているようで、それを取り締まる気は元から無いようである。しかし、100年以上一度もセリエBに落ちたことのなかった名門チームがセリエBに落ちるような時代だ。「今まで当たり前に行われてきた」こともこの際改めるってことはあってもいいんじゃないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 7日 (水)

ニュースの続報

最近は世間で起こっているニュースをブログにすることが多かったが、一回取りあげてそのまま、と言うのが多かったので、今回はその後入ってきたニュースをまとめて記載してみたい。

「逃げ得」は許さない「代理処罰」始まる

焼津で起こったブラジル人3人殺害事件で世間の注目を集めた、外国人犯罪者の逃亡(帰国)問題。もちろんこの事件の前から、8年前の浜松市でのひき逃げ事件では代理処罰のための手続きが地道に行われてきていた。県警は捜査資料をポルトガル語に翻訳して現地の警察に送ったりということを行ってきた結果として、「代理処罰を申請」「容疑者を起訴」といったニュースが相次いで流れ、今日はついに初公判が開かれた。被告は法廷で罪を認めた。「犯罪者引渡し条約」の締結は難しいだろうが、「代理処罰」も当初は「今まで行われていないから実現は難しい」と言われていたが、関係者の努力のおかげでここまで来る事ができた。容疑者は「ガイジンに対する日本人の差別があった」とほざいているようだが、犯罪を犯して国へ逃げ帰るような真似をする人間に言ってもらいたくはない。そうやって「逃げ得」が横行すればそれこそ、「お前たちはどうせこっち(日本)で罪を犯しても捕まる前に帰国すれば逃げおおせると思っているんだろう」と、真面目に日本で生活している外国人への差別を助長することになりかねない。裁判の行方が注目される。そして他にも指名手配されていてブラジルの住居もわかっているけれどカメラの前では罪を認めない人間がわんさかいる。そういえば当の焼津の容疑者は見つかっているのだろうか?

今度は「子供二人以上産むのが“健全”」で非難

まさに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の有様だ。柳沢厚生労働大臣が、話の中で「当人の若い人たちは結婚をしたい、それから子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけだから、」と発言したのだが、その言葉尻を捉えて「子供を二人以上産みたいのが“健全”なら、子供を一人しか産まないひとは“不健全”なのか」と野党が批判しているという。これに関しては柳沢氏も与党側も「問題はない」という認識で一致しているようだ。持続する社会を考えれば二人の大人が一緒になって二人の子供を産めば人口は同じになるわけで、「社会人」としては「子供を二人産む」というのは改めて口に出すまでもない前提目標である。一般論を述べたのであって、個々の夫婦・女性が実際に何人子供を産んでいるか、というのは全然別の問題なのだから、これに関しては野党の指摘の方が的を外していると思う。野党も欠席戦術を一週間も行うなど、世間の期待を失うようなことをしてみすみす支持を落としているような気がする。言葉尻でなく中身で追及せねば。

「はじめに結論ありき」の制作手法、その背景にあるものは

これは言わずと知れた「あるある」問題について。読売新聞が番組に出演した研究者に聞き取り調査した結果を示した記事が載っていた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070207i105.htm?from=main1

これによると番組は「はじめに結論ありき」で、研究者の発言は都合のいい部分だけを使われたという。10年近く、相当数の研究者が「こんな形で放送されるのは困る」と思っていながら問題発覚がここまで遅れたのは何故だろう。非常に影響力の大きな番組で、取り上げることによってその食品業界が大いに潤うという、そういう仕組みになっていたんではないだろうか。(つまり、花王だけでなく多くの食品業界からカネ貰って作ってたんじゃないのと疑ってもみたくなる。)実験や裏付けが不十分であるという背景には、「時間がない」という、テレビ業界全体にいえるような問題がある。となると他の情報番組も怪しいもんだ。これに関してはまだまだ捏造の全体像はちっとも見えていないようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年2月 1日 (木)

地球温暖化と米国

最近は国内外でいろいろなニュースが報道されているが、地球に生きる「ヒト」として最も関心を寄せることといえば、

「やっぱ、気候おかしくねぇ?」

って事だろう。一般に暖冬になるかどうかというのは、それこそ私のような専門知識の乏しい人間にとっては理解できないような複雑な条件によって決まるのであろうから、はっきりしたことは言えないけれど、感覚として近年は暖冬になる可能性が高いような気がする。私の住む静岡は雪が降らないので、雪の量で寒さを計ることはできないけれど、事実「雪まつり」に雪がないとか、スキー場がなかなかオープンできないなど、多くのニュースを耳にする。そしてヨーロッパでも深刻な暖かい冬になっているという。

そんな中、世界最大の二酸化炭素排出国である米国から、相次いでこんなニュースが報道された。

宇宙空間に浮かべた鏡で太陽光線を反射するという温暖化対策の研究を今春に出される国連の報告書に盛り込むよう、米政府が提案する。(中略)試算では太陽光線の1%も反射すれば産業革命以来出してきた温室効果ガスの効果を相殺するという。(1月29日 産経新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070129-00000028-san-int

ブッシュ米政権下で連邦政府機関に勤務する気象学者のうち150人が、過去5年間で延べ435回にわたって「気候変動」という言葉を報告書から削除したり研究結果を政権の方針に合わせるよう求められるなどの「政治的介入」を経験していた。(1月31日 毎日新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070131-00000045-mai-int

1つ目の記事は、各国が地球温暖化の『原因』である大気中の二酸化炭素をどうにかして減らそうと議論してつくられた「京都議定書」の枠組みに入ることを拒み続けた米国の実態を如実に表している。「『原因』はどうあれ、温度が上がったならエネルギーを減らせばいい」という発想だ。ただこれは価値観の違いであろうか。恐らくは米国からすれば「スーパーのレジ袋をやめようというキャンペーンがどれほど二酸化炭素の削減に貢献するものか」と思っているのだろう。日本にも「大気中の二酸化炭素を集めて、海の底に封じてしまう」という計画があるらしいのだが、これも諸外国の失笑を買っているのかもしれない。もちろん、「大気中に拡散してしまった二酸化炭素をどうやって回収するのか」が最大の問題点で、それが出来るのならこの問題は解決したも同然。結局気体となった二酸化炭素を固体にしてくれるのは、地球上の植物しかないということなのである。「開けたら閉める」「元あった姿に戻す」という精神性と、「この荒野をまっすぐ進んだところに未来がある」とするフロンティアスピリッツの違いだろうな。

2つ目の記事は、背筋が凍るような恐ろしさを秘めた記事だ。「自由」を掲げ、他国に「自由」をもたらすために戦争を起こす国が、自国民が正しい知識を得ようとする「自由」を妨害しているのだから。そういえば米国ではダーウィンの「進化論」でさえも「仮説」として扱われているという。果たしてこの国に「科学的見地」というものは存在するのかと疑問を持ってしまう。もっとも「納豆でやせる」と吹聴されて多くの日本人が信じてしまっていた事例を見ていると、人のことを言えた義理ではないが。米国では野党の民主党が議会の多数派になったということで、過去のこのような事例は地球温暖化の影響を過少に思わせるために行っていたと大統領を批判し、事実大統領に従来の政策転換を迫っている。

小さい頃見た「ドラえもん」で、道具の名前は忘れたけれど、夏の暑さを赤い鉱石状のモノに変えて家の地下に蓄えておき、冬の寒い日にそれを掘り出してあたたまるというのがあった。そんな道具があれば、地球温暖化は解決するのにな。藤子F・不二雄さんは、「地球温暖化」なんて言葉も聞かれない時代に、未来のことを想像して、こんな夢のような道具を描いたんだなと思うと、つくづく卓越した視点を持った人だったんだと思った。考えてみれば、多くの日本人が「隕石衝突による恐竜絶滅の説」を知ったのは「のび太と竜の騎士」であっただろうし、およそ子供向けとは思えないメッセージ性が氏の作品には込められている。氏が現代の世界を目の当たりにしたら、どのような作品を遺したであろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年1月29日 (月)

300日規定について

最近、ニュースで取り上げられている問題のひとつに、民法の「300日規定」がある。「女性が離婚して300日以内に生まれた子供は、前の夫の子とみなされる」という民法の規定が、非常に困った問題になっているというものである。この規定は、「子供の父親が誰かわからない事態を回避する」為にと、明治時代に作られた規定であるという。しかし、前の夫と別居中に今の夫との間に出来た子供でも、離婚から300日以内に生まれれば前夫の子となる。また、予定通りなら300日後のはずだったのに早産で早く生まれたために前夫の子、というケースもある。このような場合、前夫に裁判所で「この子と自分の間に親子関係はない」ということを認めてもらわなければならないのだという。

私はこの規定の存在は昔から知っていた。「結婚は男は18歳、女は16歳」と言われていたのと同じように、小さい頃は「そういうものなんだ」と思ってきた(いまは男女とも18歳)。

結婚した夫婦の3組に1組は離婚するという現代、この規定が足かせになるケースも相対的に増加していて社会問題になっている。数ヶ月前からインターネット上のニュースサイトで問題提起され続けていたのだが、テレビで取り上げられたのは先週のNHKニュースあたりからだ(私の知る範囲では)。「規定の改正」もしくは「事情を考慮した役所での柔軟な対応」が求められているのだが、長勢法務大臣の26日の発言では「現状の実態がどうなっているかを調べる必要がある」と、前向きではあるがいまいち言葉に力がない。

求心力低下、支持率低下が叫ばれている安倍総理大臣。こういう、国民の大多数がおかしいと思っている規定を「鶴の一声」で改正するようにすれば少しは支持率も存在感も上げられるのではないだろうか(まだ国民の関心がそんなに高くないのだろうか?)。自ら方針を大々的に打ち出してアピールするという、前の総理大臣の手法を嫌っているのかもしれないが、国民はそういうのも含めてあなたを首相に望んだんじゃないだろうか。

そんなさなかに柳沢厚生労働大臣の「機械」発言は起こった。おそらく、「企業の設備投資を増やしたことで経済が好況になった」ということになぞらえての発言だったのだろう。女性が子供を産まない(産めない)原因の1位や2位ではないにしろ、この300日規定の為に離婚した直後の出産をあきらめた人は多いはずだ。結局、人の生死にかかわる多くの問題は「血の通った」政策を打ち出す以外に道はないのである。だからこそ、こういう発言は許せないという声が起こるのだろう。

「ニュース解説ブログ」じゃないから、自分のこととしてとらえてみよう。30歳、男、独身。親と同居。結婚の予定…なし。何故?なぜだろう。貯金は少ないが、それより将来にわたって安定して収入を得る事の方が重要だ。自分の中では、今やっている仕事の中から技術を体系的に取得して、「仮に今の会社でない場所であっても通用する」という確信が得られれば…、というのはある。それまでは社会的に責任ある立場に身を置こうという気にならない、といったところだろうか。ただ、日々の仕事が忙しくて、自分のスキルアップに手が回らない…というのは言い訳だろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (4)