「DSテレビ」の第2回発売が11月20日に行われたが、またも買えなかった。「次の発売は11月20日ごろを予定しています」と書いてあって、19日の夜に任天堂のHPに行ってみたところ、販売してもいないのに「ただいまサーバが込み合っています」というページに飛ばされた。その後アクセス数の少ないと思われる夜中の3時くらいに行ってみれば良かったのだが忘れてしまい、(ブログの記事を書いていて20日の2時くらいまではパソコンの前にいたのだが)翌朝気づいて仕事場のパソコンからアクセスしてみたら「販売中」のページが設けられていて押すと例によって「サーバが込み合っています」となっていた。前にも書いたが1000万台以上売れているゲーム機のワンセグ機器なんだから注文が殺到するに決まってる。結局今回は前回よりも対応が早くなったおかげで、その日の昼12時に見たときにはもう「11月26日発送の分は完売しました」という表示が現れていた。
また、11月21日にはさっそく「DSテレビ」を手に入れた記者が使ってみての感想をいろいろ書いている記事が載っていた。次は買えるだろうか。というより生産が軌道に乗って普通に買えるようにならないのだろうか。
ふと、16年も前のことを思い出した。このほどDSでリメイクされた「ドラゴンクエストIV」がファミコンで発売されたのは1991年のことだった。ファミコンのカセットというのは短期間での大量生産に向かないのか、あの時は事前に予約したにもかかわらず手に入ったのは発売から1ヶ月後であった。予約してあるので発売日に他の店をハシゴして探すという事もせず、「もしかしたら早くに入荷するかもしれない」と考えたりしてその1ヶ月間を悶々と過ごしたのを思い出す。その間に早く手に入れた人間はゲームの話をするし、「ファミ通」などの雑誌は発売日にゲームをスタートすることを前提に攻略記事を載せている。つとめてそういう情報から離れようと苦労したものだった。
「DSテレビ」も1ヶ月ぐらいで手に入るだろうか。まあ、学生時代の1ヶ月と比べりゃ、いまの1ヶ月なんてあっという間だ。それに、どうしても手に入れたい、というものでもない。せいぜい土曜の夜に泊りがけで遊びに行った際に「ケータイ大喜利」をチェックしたり、日曜日に出かけたときに「アタック25」をチェックするぐらいしか使い道が思い浮かばない。
「DSテレビ」の話題はこれぐらいにして、引き続きこのところやっている「DS」ソフトの話を書こうと思う。
「DS文学全集」は時間があった時にちょくちょく読み進めている。背表紙の薄い本ばかりを選んでいるが、こないだ読んだ樋口一葉の「にごりえ」は苦戦した。他の「背表紙の薄い本」と比べても格段にページ数が多い。じゃあ背表紙の厚い本は読むのにどんだけかかるんだと不安になる。それでも、ページ数が多いだけなら大した問題ではない。この作品は「文語体」で書かれていたのだった。
たしか「脳を鍛える大人のDSトレーニング」にも「にごりえ」は収録されていた。こちらは最初の数ページだけが収録してあって、「声に出して読んでみましょう」と教授に言われるのだが、声に出して読めるように、すべての漢字と歴史的仮名遣いの部分にはふりがながついていた。(難しいモードでふりがなを消すことも出来るのだが)しかし、「DS文学全集」には全部の文字にふりがながついている訳ではない。おそらくは、実際の文庫本にふりがながついているのと同じ場所にのみふりがながついているのだろう。しかしそれではあまりに読みづらい。特に私は「脳を鍛える~」で実践したようにすべての文学作品を声に出して読むようにしているので、漢字が読めないとどうにもリズムが狂ってしまう。目で追う場合は「こんな意味だろう」と推測して、何かの記号に頭の中で置き換えて読み飛ばして行くことが可能だろう。「漢検DS2」で「準1級」や「1級」で出題されるような漢字がふりがなもなくわんさか登場する。
のっけから「氣」「來」という字が出てくるが、おおかたの人は「気」「来」のことだという事を知っているだろうからまあいいとして(中にはこの時点で「え、そうなの!?」と思ってしまう人もいるかもしれないが)、2ページ目に「嘘つ吐き(うそつき…もしかして「うそっつき」か?)」といった語がふりがななしで登場する。「漢検DS」の準1級に「嘘をツく」という問題が出題されていて私はそこで初めてこの読みを知った。「言譯」は「言訳」のことだから「いいわけ」とか、「歸」は「帰」の旧字体だとか、気づかないとえんえん読めずに進んでしまう字も多い。
いや、そういうのを現代風のわかりやすい字に改めろというのではない。多くの人に読んでもらえるようにふりがなをつけることは出来なかったのかというのが率直な感想である。
字だけではない。「お神(かみ)さん」「長烟管(ながぎせる)」などは落語をやってたからわかるようなものの、何の知識もなければ立ち止まってしまうんじゃない?いや、実際にはもっと難しい言葉ばっかりなんだけれど。
たいてい昔の文学の文庫本には「註」がついていて、時代背景や現代人には想像されにくい知識などを別ページにまとめてくれていることが多いが、このゲームにはそういう機能はない。DSの2枚の画面を本の見開きに見立てている形式で、タッチペンはそのうち一方の面にしか使うことが出来ないので現在の形式では「註」はつけられない。だが、当然、アイデアとしては「註」をつける案もあっただろうが、後の時代の文庫本にある「註」は、後の編集者が執筆した「著作物」になるから収録は難しいのだろう。このゲームの監修者が責任を持って自分自身で「註」をつければ済むことではあるが、それでは100もの作品を収録してさらにダウンロードで随時作品のデータを用意するというのは途方もない作業になってしまう。おそらくは、そうなりゃ定価が1000円上がっていたかもしれないな。
このソフトはあくまで、「過去の名作を出来るだけ忠実に収録する」ことに主眼が置かれている。「秋の夜長に読書をしよう」というようなキャッチコピーで、広く門戸を広げているように見えているが、実際にこのソフトを買ってみた人はわかるが、パッケージに書かれている「CERO」の表示が、たいていは対象年齢ごとに分類されているのだが、「教育・データベース」となっている。ちなみに一般的に「教育」ソフトとされる「漢検DS」や「日本史・世界史トレーニング」などは「CERO A 全年齢対象」と書かれている。「CERO A」はあくまで「ゲーム」であるが、「教育・データベース」は「ゲームではない」という位置づけなのだ。
このソフトはあくまで「教育・データベース」つまり教育教材であると割り切れば、このように読むのが難しい作品に出くわすのもやむなし・・・なのだが、私としてはあくまで「ゲーム」として多くの人に読みやすいスタイルでの収録をして欲しかったなと思う部分でもあった。いやホントに文語体の文章を読むのは難しいんだってば。大学の国文科卒業の私が言うんだからホントだってば(ロクに本も読まずに来たって自分で白状しているが・・・)。